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創立者「星一」

星薬科大学創立者「星一」
星 一
(ほし はじめ)

 星薬科大学の創立者・星一は、明治6(1873)年、福島県に生まれた。苦学して東京商業学校を卒業し、「勇気が成功を生む」ことの大切さを自覚、20歳で自由の地アメリカへ渡り、念願のコロンビア大学で経済学と統計学を修めた。12年間に及ぶ滞米期間中に、薬局で薬を買うことによって病気を軽いうちに治す習慣を身につけた星は、帰国後、社会奉仕可能な事業として製薬を始めることを決意、寝る間を惜しんで研究を重ね、ついに“イヒチオール”という湿布薬を販売するに至った。この薬の爆発的な人気と収益を基に、明治44(1911)年、星製薬株式会社を創立、社内に星薬科大学の前身である教育部を設置した。星は斬新な発想と行動力で次々と新製品を開発し、会社は順調な成長を遂げた。

 第一次大戦終結後、星は科学技術の最先進国ドイツの窮状を知り、明治維新後、多くの日本人が学んだドイツに恩返しができたらと、義援金を募るが思うに任せず、私費で援助を決断した。大正8(1919)年~14(1925)年までの7年間、政争に巻き込まれて事業が傾いたが、自宅を抵当に入れてまでも送金を続けた。その総額は、現在の邦貨に換算して優に20億円を超える。一重に、日本がドイツから多く学ばせてもらったことへの感謝と科学技術の危機を救いたいとの思いからのことである。星の援助により、後年、ノーベル賞を受賞する2人をはじめ、多数の研究者が活路を開かれ、今日のドイツ科学の礎を支えたといわれている。

 星の科学に対する熱意はとどまるところを知らず、会社創立時に社内に設置した教育部は、薬学関係者を集めての星薬業講習会へと発展した。さらに、星の社会奉仕精神に基づく「疾病で悩む人々に健康を与え、幸福と平和をもたらす人材を育成したい」との願いは、星製薬商業学校、星薬学専門学校へと規模を拡大し、後の星薬科大学の母体となった。星製薬商業学校では、製造から販売に至るまでの薬のあらゆる知識に加え、政治・社会・商業道徳などを教授、ここに「世界に奉仕する人材の育成」、「親切第一」を教育方針に掲げた、現在の星薬科大学の基礎が築かれたのである。

 〔星一については、子息・星新一著「明治・父・アメリカ」、「人民は弱し官吏は強し」(共に新潮文庫)をご参照ください。〕

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